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日本海と単独表記継承!いつから日本海と呼ばれたか?坤輿万国全図

日本海と単独表記継承!いつから日本海と呼ばれたか

日本海と単独表記継承!いつから日本海と呼ばれたか

 

韓国と日本の間で日本海の呼び方について韓国側から「東海(トンヘ)」との併記などを求めている問題について、17日未明国際水路機関(IHO)の総会で、日本海と単独表記する指針の継続を暫定承認したようです。各海域を名称ではなく、数字で表記するデジタル版の海図を新たに作成する方針も合わせて暫定承認としました。

 

 

 

全会一致で承認

11月16~18日の日程でオンライン形式で開催された総会では、IHOの事務局長案として日本海単独表記の指針継続とデジタル版海図の作成が提案されました。総会は出席国による全会一致が原則で、韓国を含め加盟国から明確な反対は出なかったもようです。今後IHOが総会の報告書を月内にまとめ、正式に承認される見通しです。

いつから日本海と呼ばれていたか

坤輿万国全図

坤輿万国全図

日本海と呼ばれていたのは、今からちょうど400年前の北京でイエズス会のイタリア人宣教師マテオリッチさんが作った『坤輿万国全図』という漢字で書かれた世界地図にユーラシア大陸と日本列島に囲まれた海域に、日本海という呼称を記載した現存最古の地図であるとされています。それ以前の西洋製地図では、日本海を「マンジの海」、「チンの海」、「シナの海」などと呼ばれていたようです。いずれも東洋世界を代表する中国にちなむ地名からつけられていたようです。

 

 

 

1617年のブランクスの日本図

1617年のブランクスの日本図

1617年のブランクスの日本図

日本海と言う明記をもっとも早くに採用した地図で現存するものとしては1617年のブランクスの日本図です。この地図はポルトガルの地図製作者のイグナシオモレイラ(1538年ごろ~没年不詳)の地図を基に作られたものです。モレイラさんは、天正遣欧使節の日本帰国に同行し、1590年に来日し約2年間にわたって鹿児島から京都までの西日本を測量したそうです。更に、1591年1月に豊臣秀吉に面会した際、京都に集まっていた東日本の大名から情報を集め、世界で初めて実態に近い日本地図を作ったとされています。

正式には18世紀から日本海へ

その後、1646年にダッドリーが日本北海という呼称を、1690年にコロネリ、1692年にウイットセンが、それぞれ日本海という呼称を採用するなど、17~18世紀を通じてこの呼称はしだいに広がっていったようです。18世紀末以降になると、この海域の呼称が日本海という呼称に定着されてきたようです。

 

日本海単独表記の歴史

IHOは各国が公式の海図を作成する際に参考にする指針「大洋と海の境界」を作成しています。指針には各海域の名称が記載されており、日本海の海域は1928年の初版から現行版の第3版(53年作成)まで「Japan Sea」と記され、日本海単独表記の根拠の一つとなっているようです。

日本海呼称問題 - Wikipedia