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柔道 金メダリスト 古賀稔彦さん死去 53歳 死因癌

柔道 金メダリスト 古賀稔彦さん死去 53歳

柔道 金メダリスト 古賀稔彦さん死去 53歳

鮮やかな背負い投げを持ち味に「平成の三四郎」と呼ばれたバルセロナオリンピック、柔道の金メダリストの古賀稔彦さんが3月24日朝自宅で亡くなりました。死因については詳しい報道はありませんが去年、がんの手術を受けて療養を続けていました。53歳でした。

 

 

 

 

古賀さんは佐賀県三養基郡北茂安町出身で1992年バルセロナオリンピック柔道男子71kg級で金メダルを取得しました。古賀さんは柔道を習っていた兄の影響で小学1年生から柔道を始め、中学1年で上京。柔道私塾講道学舎に入門しました。世田谷区立弦巻中学校から世田谷学園高等学校、日本体育大学体育学部武道学科に進み、在学中はそれぞれ数々のタイトルを獲得、怪我を克服しながら順調に成長しました。

www3.nhk.or.jp

 

 

 

 

 

1988年

ソウルオリンピックでオリンピック初出場するも、3回戦で敗退

1990年

当時75kg前後という軽量にもかかわらず体重無差別の全日本柔道選手権大会で重量級の選手を次々と撃破し、決勝進出。決勝で当時最重量(95kg超)級の世界チャンピオンだった小川直也と対戦、足車にしとめられ、惜しくも準優勝。古賀の回顧によれば「柔道の試合で自分の体が宙に飛んだのはあれが生まれて初めて」だという。

1992年

バルセロナオリンピック選手団主将を務める。バルセロナオリンピック直前に吉田秀彦との乱取り中に左膝を負傷。ひざの痛みに加え、運動できないことにより減量も思うようにならない困難を乗り越え、痛み止めを打ちながら金メダルを獲得した[2]。TBSテレビは、年末のスポーツ名場面ベスト100の第2位にこの金メダルを選んでいる(1位は同じバルセロナオリンピックにおける女子100m平泳ぎにおける岩崎恭子の金メダル)。

1996年

アトランタオリンピック選考会では一本負けを喫したが、過去の実績から選出された。決勝まで進んだが、ジャメル・ブーラに敗れ銀メダル

 

 

 

 

 

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 柔道八段
古賀塾塾長
医学博士
IPU環太平洋大学 体育学部体育学科教授
IPU環太平洋大学 女子柔道部総監督
日本健康医療専門学校校長

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2000年

現役を引退し指導者になり、全日本女子柔道チーム強化コーチを務める。そのかたわら、2003年4月からは子供の人間育成を目的とした町道場「古賀塾」を神奈川県川崎市高津区に開塾。コーチとして2004年アテネオリンピックでは愛弟子である谷本歩実が金メダルを獲得、谷本が古賀に抱きついて喜ぶ場面が放映された。

2005年8月

24時間テレビ 「愛は地球を救う」(日テレ)の企画“百人掛け”を実施、72人で終了した(72勝0敗)。脱水による全身痙攣でドクターストップ。最後の相手は兄だった。 2007年4月からは岡山県岡山市にある環太平洋大学柔道部の総監督に就任。

 

 

 

 

2008年2月13日

明治時代に活躍した徳之島出身の徳三宝を称える歌「柔道一代 徳三宝」でCDデビューを果たした。

2008年6月

東京都台東区浅草橋にある日本健康医療専門学校の校長に就任。同年、弘前大学大学院でスポーツ医学研究を始め、2012年3月に博士(医学)の学位を取得しました。

2021年3月24日

 

 古賀さんは昨年暮れごろには体も痩せて少し元気がない様子だったようです。かなり無理をされていたのかもしれません。ご冥福をお祈りします