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愛媛県立宇和島水産高等学校 えひめ丸!えひめ丸事故20年理事長の菅紀子さん

えひめ丸事故20年

えひめ丸事故20年 渡航断念も慰霊の短歌・俳句届ける


「えひめ丸の事故を忘れてはいけない」と話す「アイムえひめ」理事長の菅紀子さん

アメリカのハワイ沖で2001年2月10日8時45分ころ愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が米原潜に衝突され、9人が死亡した事故から20年が過ぎようとしています。。松山市のNPO法人「アイムえひめ」理事長、菅紀子さんは毎年、ホノルル市で慰霊碑に花を手向けてきましたが、今年は新型コロナウイルスの影響で渡航を断念。そんななか、「せめて慰霊の気持ちだけでも届けたい」と県内の学生らに俳句と短歌を募り、現地の関係団体に送りました。

 

 

 

 

えひめ丸事故(えひめまるじこ)は、2001年2月10日8時45分(日本時間)、アメリカ・ハワイ州のオアフ島沖で愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船だったえひめ丸に浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦グリーンビルが衝突し沈没させた事故[4]。乗務員の35人のうち、えひめ丸に取り残された教員5人と生徒4人が死亡し、救出されたうち9人がPTSDと診断された。

えひめ丸事故 - Wikipedia


菅さんはハワイに住んでいた平成21、22年にホノルル市で行われた慰霊式に参列。慰霊碑を手厚く世話する人たちに感銘を受けた。帰国後も「忘れてはいけない大切なこと」と毎年現地で慰霊式に加わり、遺族らが再会する様子を見守ってきた。 今年は事故から20年の節目となるが、コロナ禍で現地入りを断念しました。「なんとか別の形で続けていくことはできないか」と考え、思い立ったのが、短歌と俳句を送ることだったと話しています。

 

えひめ丸慰霊祭の日が近づいてきました。 毎年必ずハワイ現地で慰霊祭に参加していましたが今年は新型コロナウイルスパンデミックのため行くことも叶いません。 特に今年は20周年目を迎えます。なんとか慰霊の気持ちだけでも届けることはできないか。そ...

アイムえひめさんの投稿 2021年1月19日火曜日
 

 

 

 

菅さんが非常勤講師を務める松山大(松山市)と岡山理科大獣医学部(愛媛県今治市)の学生のほか、松山市内の高校、関西やアルゼンチンの俳句クラブなどに協力を呼びかけた。約100人から計約150点の作品が集まり、菅さん自身も4首の短歌を詠みました。


「えひめ丸を設計したと今治の同級生告ぐ彼の無念も」
「渡航時の天候毎年変はりきぬ飛べぬ今年は懸念要らねど」
「昨年の渡布時は不明のウイルスの懸念増しつつ慰霊を果たせり」
「(慰霊碑のある)カカアコに三々五々集い来てやあ久し振りと言えない今年」


集まった俳句・短歌は、ハワイ日米協会とえひめ丸慰霊碑管理協会へメールで送るとともに、宇和島水産高校で2月10日に行われる「えひめ丸事故追想の日式典」で慰霊碑にささげられる予定だそうです。菅さんは「20年たつと、えひめ丸の事故を知らない若い人もいる。知っている人は忘れないよう、知らない人は知ってもらうことから始めなければ」と話しています。