女優の浅香光代さんが13日朝に入院していた都内の病院で亡くなっていたことが分かりました。92歳でした。浅香さんは戦後、浅香光代一座を組み、女剣劇スターとして大人気となりました。関係者によりますと、浅香さんは13日朝に入院していた都内の病院で亡くなったということです。浅香さんは野村沙知代さんとのいわゆる「ミッチー・サッチー騒動」でも広く知られていました。
浅香 光代(あさか みつよ)さん
本名:北岡 昭子(きたおか しょうこ)さん
1928年2月20日生まれ
日本の剣劇女優
出身:東京府東京市神田区(現:東京都千代田区神田)
身長163.5cm・体重55kg。血液型はB型
愛称は「ミッチー」
内縁の夫はコメディアンの世志凡太さん
来歴・人物
1937年、9歳のときに、映画界で活躍していた浅香新八郎、森静子らの舞台劇団「新生国民座」の門戸を叩き、座長から芸名「浅香光代」を贈られました。1944年(昭和19年)に座長の浅香新八郎が急逝し、森静子の意向から新生国民座は解散しました。亡くなった座長から覚えめでたい存在だった浅香さんは担ぎ上げられる格好で「浅香光代一座」を発足させました。新劇団は以前からのプログラム演目に中堅看板役者達を引き継いだものの、知名度の無い劇団の人気は結団暫く低迷していましたが、戦局悪化で曖昧な規制対象にされていた女剣劇の復活に携わると、たちまち人々の話題にのぼり有名になりました。
浅香光代一座はやがて浅草や新宿などの芝居小屋で専属など長期興行を張る中堅人気劇団へ成長しました。一座にはのちにてんぷくトリオで有名になる戸塚睦夫・三波伸介などが在籍しており、その幕間には玉川良一らが客演していました。自身の殺陣に絶対の自信を持ち、番組企画等でお笑いタレント等に殺陣や演技指導するという企画に参加することもありました。
野村沙知代さんに剣劇を教え舞台で共演したものの、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」の降板前最後の回(1999年3月31日)において、沙知代さんを批判をしたことがきっかけとなり、沙知代の逮捕(2001年12月)まで続くミッチー・サッチー騒動へと発展しました。連日に渡り「ミッチーVSサッチー」と民放各局のワイドショーで取り上げられたことにより、浅香のこれまでの高年齢者にシフトしていた知名度が若い世代でも認知されるようになりましたが、2004年、沙知代に対する名誉毀損で110万円の支払い命令を受けています。
2010年5月3日、プロレス団体「MAP」の旗揚げ戦に参戦し、高山善廣と対戦しましたた。2014年、雑誌(『婦人公論』2014年2月7日号)にて20代で出産した隠し子がいることを公表しました。子の父親は既婚者の政治家で総理大臣、副総理を歴任した人物(故人)であり、子に対しても名を明かしていないということです。
2018年、2月20日で90歳になり5月11日都内のホテルで卒寿を祝う会を行いお祝いに駆けつけた萩本欽一、山東昭子、深谷隆司、亀井静香ら約300人を前に「浅香光代、これからも頑張ります」としっかりとした元気な声であいさつしました。2020年12月13日朝、入院先の東京都内の病院にて92歳でお亡くなりになりました
参照